平成も17年ですか・・・。はやいものです。
考えてみれば平成とともに旗揚げした「中村花卉園」も17年目に突入、準備期間から入れるともう18年目になるのかな。
旗揚げと言っても、我が家は両親と年寄りで完全な外での就業なし(姉が結婚前に2年ほど勤めただけですが、これは何の足しにもなってませんから)の専業農家として成り立ってきたのだし、まったくのゼロからの設立よりはるかに楽なはずなんです。
それでも、今まで使わなかった施設や資材の購入から始まり、初めての大きな借金からのスタート。バケツ一つの購入さえも負担に感じました。今からではもうそんな元気ないかもしれないなぁ。こうして考えるとホントに大変だったかもしれません。
準備期間に入る前、「花作りをしてみたい」とは思ったものの、ホントに僕が作った花がお金に換わり、それらで生計が成り立つなんて何のイメージもわかないものでした。
研修を途中で切り上げる格好で、一年の勉強期間もないままスタートしてしまった平成元年でした。
あの年はまだ親がしていたキュウリ作りやホウレンソウなどでずいぶん助けたもらったけれど、それ以後はまさに茨の道・・・。色んなまわりに助けられて「よくぞご無事で・・・」という形で何とか今も続いてるわけですが、初年度、花を作ってそれらがお金に換わった段階で、それら金額が生計を成り立たすだけのものに満ちていなくてもその時点で「プロ」になったわけですよね。
あの時点で21歳。「プロになった」そんな言葉では言ってたような気もするけれど、それほど重く受け止めていなかった気もします。
1年の勉強もせず、翌年「せーの!」でスタートしても、家に帰ってきた2週間くらい後にはじめて自分の作った花がお金に換わり、はい「プロ・中村花卉園」の出来上がり。趣味の園芸とはもう言い逃れ出来ません。
だから「プロになる事」というのはある意味たやすいことなのです。
・・・が、「プロである事」「あり続ける事」というのは話が違ってきます。
「プロである事」というのはお金に換えられるだけの価値のものをちゃんと作っているか、
それだけの価値のいい仕事をしているか、
この先もちゃんと続けていけるだけのものであるのか・・・
色んな背負うものが出来てきます。
いくら現時点ではお金に換わっていても、それだけの先を見据えた価値の事をしていないと、直後にもう1円にもならない、ならなかった年を迎えてしまうのは簡単な事なのです。
自分がプロであるという意識を持つからには、それらがいつかどこかで終わりを告げるということを、危機感を持っていなければ、もうスタートはプロであっても2年目、3年目それ以降は同じ形だけでは失格だと思うのです。
そういう意味で、たとえばこの数年、僕は自分の力で計画でこうして野菜つくりを初めてやってみているわけですが、この時点で野菜作りにおいても「プロ」になったわけで、冗談で言ってる「小遣い稼ぎ」「趣味の園芸」という言葉では終われない責任が、たとえばこの先続けるのであればかかってきているのだと思っています。
いや、たとえば・・・ではないのです。
僕は続けていくのです。野菜作りが加わったとしても、この「花卉園」を。
だから、それらを扱っていただく周りにもその意識が伝わる空気を作ろう、もっと作らなきゃいけない。
と、思い知らされた日でした。今日という日。
中途半端では絶対に終わらない。
絶対どんな状況でも、何年かかってでも。
自分に言い聞かせていかなきゃ。
そう思ってはいます。